一つのゲーム。
一つの趣味。
一つの心。

自分という人間は対応連鎖型である。
繰り返し作業の中に意図を見出す、あるいは意味づけをしそれなりに織りなすことは出来るが自分から意味のあるものを発する可能性を感じない。

責任を負うことへの怯えともとれるがそうではない、偶発的な責任などまるで無責任なまで背負えるだろう。

可能性というよりもむしろ俺は損益的な観点からのマイナス、他者との感覚のずれによる勘違い、誤った道を歩んだことや歩まされたことへの負の感情であると思う。

それだけに俺自身の経験不足による勘違いを正してくれる行為には感謝している、他者をマイナスをニュートラルな状態へ戻せる人間に俺もなりたい。


という雑感を得たプレリでした4-2。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索