感謝の

2016年10月10日 日常
例えば、今の僕の気持ちの最終点が感謝であるとするとアッパー側では文字を重ねて重ねて黒く塗りつぶし(たような気になって)直接、感謝とせず空白を置くでしょう。ちょっと気持ちが落ちかけの時には感謝と一言だけ表現するかもしれないですね。普段の状態には感謝の気持ちはあっても表現することの難しさと気恥ずかしさに途中で書くのをやめるだろうし、気が落ちてる時は感謝は出来ないです。
逆説的に、感謝の気持ちがあるうちは気持ちは落ち込む隙がないとなるのかな?
メンタル的に抵抗力があるか否かの自己判断基準になっている対象物のある感謝感をどうすれば普段の自分に纏わせることが出来るかを体調不足と薬投与中の状態でフワフワと手探りしております。
あと、たまに方向性の無い感謝の気持ちに囚われる瞬間あるかもしれません、身も心も軽くなる安らぎに包まれるのは気持ちいいのですがただの多幸感というなのバッドステータスです、自重したり自嘲したりお薬のみましょう。

今のところ僕の手探りの中で成功している方法は、感謝を向ける方が人ならば行動を少しだけ模倣してみる、生い立ちを調べるといわないまでもその人が大切にしている、していた人と心を込めて接してみる、その際に発した気持ちを理解できるまで覚えておくの3つです。

赤ちゃんとか相手なら裏も表もなく生まれてきてくれて「ありがとう」とブッパできるのですごい好きです。
自分の子だと少し複雑なものを含むあたりも自分自身の人間性が出ていてそこもふくめて割と好きですね、感謝伝えてるうちにどうにかなんだろうか的な不安ね。

さて、おくすりのんでこよ。

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