偽善について、

2016年11月18日 日常
最近、人の為の善という解釈を見つけた。
その為、もしもこの先で偽善者と呼ばれてもこの解釈を盾にボランティアという笠のもと自己研鑚に励めるだろう。

欲求のまま起こした行動に後付で裏付けしていくことで自分の性格を把握したり改善したりしてきた言い訳人生に対する言い訳。

もう取り返しがつかないし、ついたとしても面倒くさいからこのまま「なにか役に立つ善」を両手に装備したまま周囲を殴り散らすクレイジーダイヤモンドおぢさんのまま生涯を終えたい。


では、玉串奉奠してきます。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索